安倍七観音(駿河七観音)法明寺(ほうみょうじ)
高福山法明寺 静岡市葵区足久保奥組1043
静岡茶発祥の地でもある足久保の山の上にある。安倍七観音(駿河七観音)はここから始まったとされる。
基という大僧正。奈良時代にすごい活躍をした時代の英雄みたいな人だ。あまりに活躍して、民衆から支持されたので、朝廷は行基の活動を禁止したほどだった。
 その行基が、養老七年(西暦723年)に、駿河の法明寺(静岡市葵区足久保奥組の山の上にある曹洞宗の古いお寺)にあった楠の大木を切って観音菩薩(千手千眼観世音菩薩)を彫り、七つの寺に安置した。それによって聖武天皇の病気が治癒した・・・という伝説がある。
 楠の木は行基に切られたくて光っていたとか、切ったら血が流れたとか、いろんな話になっているが、常識的に考えれば、そういった奇跡というのは、誰かの思い込みだったり、誇張と脚色の発展形だったりするものだから、細かいことは気にしなくていいだろう。
 行基があまりに偉大だったから、日本中に行基が開いたお寺だとか、作った橋だとかがいっぱいあるらしい。いっぱいあるから偉大だというよりも、偉大だからいっぱいあることになってしまったと考えた方がいいだろう。
 そんなことはともかく、安倍七観音は今もなんとか現存している。現存している観音菩薩像が、本当に行基が彫ったものだという証拠はないし、科学的に検証するともっと新しかったなんてこともあるようだが、少なくとも千年とか、それ以上の長きにわたって、七つのお寺は信仰を集めてきた。もちろん、信仰とはいっても日本のことだから、狂信的になる人もいないし、信仰が強制されたこともない。あくまでも、どこまでも、駿河の国と同じようにのんびりしていて平和な信仰だ。
 そんな平和で脳天気なパワースポットとして、安倍七観音も勘定に入れてみてはいかがだろう。
安倍七観音(駿河七観音)徳願寺(とくがんじ)
大窪山徳願寺 静岡市駿河区向敷地689
静岡市を上から眺める徳願寺山の上、徳願寺。アヒルさんたちが迎えにきてくれる、とっても陽気な雰囲気のお寺。
安倍七観音(駿河七観音)平沢寺(へいたくじ)
布袋山自在院平澤寺 静岡市駿河区平沢50
静岡県立図書館と県立美術館のある丘の裏手、日本平で有名な有度山の懐にある。別名「ひらさわの観音さん」。
安倍七観音(駿河七観音)増善寺(ぞうせんじ)
慈悲山増善寺 静岡市葵区慈悲尾302
今川親氏公の菩提寺。慈悲尾(しいのお)を山の方へ行ったところにある。裏山には南北朝期の安倍城跡がある。
安倍七観音(駿河七観音)鉄舟寺(てっしゅうじ)
補陀落山鉄舟寺(補陀落山久能寺) 静岡市清水区村松2188
飛鳥時代に久能忠仁が久能山の山頂に開いたが、武田信玄によって今の場所に移された。荒廃したのを山岡鉄舟が復興して鉄舟寺となった。
安倍七観音(駿河七観音)霊山寺(れいざんじ)
鷲峰山霊山寺 静岡市清水区清水大内597
奈良時代、8世紀半ばに開かれたという霊場。現在の建物は18世紀だというが、それ以上に古ぼけて見える。かなり急な石段を登る。
安倍七観音(駿河七観音)建穂寺(たきょうじ)
瑞祥山建穂寺 静岡市葵区建穂2丁目12-6
仏像がたくさんあるが寺でなく、この新しい観音堂のみ残っている状態。明治の神仏分離令によって破壊されたためだ。
鹿児島県では、明治の新時代に対応するため、お寺というお寺を全部破壊してしまったのだという。駿府静岡市ではそこまではいかないものの、やはり破壊が横行して、貴重な文化財が失われてしまった。もっと古いことをいえば、奈良の法隆寺より古かった久能山山頂の久能寺は、武田信玄によって今の場所、つまり山の麓へと移されて、そこには久能城が築かれた。それを頂戴したのが徳川家康公で、今は久能山東照宮となっている。久能山東照宮の立派なこと、今でも四百年前の輝きを失わずきらびやかなことを見れば、場所というのは本当に大事なんだと思う。山の麓へ移された久能寺は、江戸時代まではなんとかお寺を保ってきたけれど、幕末までには荒廃してしまったというのも、「あるべき特別な場所」を失ったからだと考えられなくもない。
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